かんまんこうろうひ・はてなブログ編

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牧野美千子さんトークショー in 日本橋ジャングル その1

 実を云うと、前日まですっかり忘れてました(爆)。当日に急用でビックカメラに行くことになって、そういや今日は日本橋で何かイベントがあったな~とふと思い返してみると「あ゛~~~!!!」みたいな(^^;)。
 ……そんなわけで足を運んでみたんですが、ジャングルって移転したんですねえ……旧店舗跡にまんま看板が残ってるので思いっきり間違えて遅刻したよw。が、ぶっちゃけ、以前より遥かに入りやすい場所&内装になってました。あと、歴代ゲストのサイン色紙が眺めやすくなったのもナイス!そして、一番上座の部分には曽我さまのサインが~~~っ(涙涙涙)。

 で、ピンクファイブこと牧野美千子さんですが、以前から共演者インタビュー等では語られていた通り、ハキハキした、あの初期の桂木ひかるのキャラクターは明らかに作ってたんだナ(笑)な御方でした。というか、あれで4○歳!?本当に4○歳!?みたいな(驚)。ジャングルのHPの写真は明らかに実物を見たときの相乗効果を狙ってちょっと○※めに撮ってるでしょ!と正直思いました。いや、終盤で戦隊の音楽の仕事に携わっておられる方(まついえつこさん、という方でした)とデュエットソングを歌ったんですが、とても20年近い年の差があるとはとても思えなかったもん!(まついさんは私よりも年下です) 以下、バイオマンの裏話について。

注!会話等については全くいい加減です。こんな感じで喋ってたな~くらいのノリで書いてます。ご了承ください。

  • 表舞台に復帰したきっかけについて

牧野「(戦隊のムック本を発行する際、そしてDVD化が決まった際など)何度か探して下さったことはあったらしいんですが、私は全然知らなかったんですよ!そしたらある友人のこれまた友人が特撮もののファンということで、ひょっとしてこれは私のことじゃないかと、友人を介して尋ねてきて下さって」その特撮ファンの友人さん?が阪本良介さん(改名されましたがバイオマン当時の芸名でこのレポは統一します)に連絡をとってもいいですかと、これまた友人のまた聞きで連絡してきたらしい。それで、伝言ゲーム形式にめぐりめぐって1年ぐらい(!)した頃、突如牧野さんの携帯に見知らぬ番号が(牧野さん曰く「忘れられない瞬間」)。

超電子バイオマンのレッドワン・阪本良介です」

 キタ━━━━(≧∀≦)ノ━━━━ !!!!!ミッシングリンクがひとつ繋がった瞬間でございました。「いきなり知らない番号だったから。最初は誰かと思ったの」ちなみに阪本さんは毎回↑のようなご挨拶を電話の冒頭で述べるらしい。「も~わかってるってのにねぇ(笑)」しかし、阪本さんのですます口調も最初だけで、数分もすればあっさりため口&ひかる呼ばわりになるのだそうな(爆)。
「新堀さんや先代ピンクの萩原佐代子ちゃんが集まったりするんだけど来てみない?と阪本さんに誘われて行ったのが鈴木美潮さんのイベントであれよあれよという間に舞台にあがることになっちゃって(笑)」赤祭の裏話ではシンケンの爺こと伊吹吾郎さんに非常に親切にしてもらって感動したなども語っておられました。
「実は十数年前に一度だけ名乗り出てみようかな~って思ったことがあるんです。ジュウレンジャーをやってた頃に。カメラマンのいのくままさおさんを訪ねていったら子供を撮影所に入れてくれるかな~って(笑)。結局勇気が出なかったんですが」

 まあ雑誌にも書かれてましたが。「友人が学園祭のミスコンに私の写真を送って、それが切欠で週刊朝日のグラビアに載ったんです。でも親が厳しかったのでこれといったこともできなくて。大抵の仕事絡みの電話は親が取ってたんですが、珍しくたまたま私が取った電話が東映からで、そのまま東映に呼ばれまして。子供番組の女の子だから、土曜6時の番組だから、ということで子供番組→歌のお姉さんみたいなのかなぁ?それなら親もOKということで、その土曜6時にテレビを点けたら萩原佐代子ちゃんが怪物と戦ってて(笑)!」半分、運も作用した起用だったんですねえ。まさに「宿命の戦士」。あの有名なOPのメリーゴーランドでフルート吹く場面は見た目の優雅さに比べてとても怖かったとか!「メリーゴーランドに横乗りなんてありえないですよ(←そりゃそうだよな)。しかも(フルートを持ってたから)両腕は塞がってるし!」というわけで、実はあの場面では足元ではADさんが支え役に徹しており、ご本人の笑顔には引きつったものが若干混じってるらしい(笑)。当時、個人的にインパクトを受けたあのシーン(幼心に「こんな優美なおねえさんが悪と戦うなんて~~~!」と衝撃だった)にこんな裏話があったとは。いや~貴重ですねえ。

 明日の日記につづく。