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歌祭12~影山ヒロノブの巻 in ネイキッドロフト その3

 アニソン歌手としてリスタートして以降のお話。《2012年追記》え~実は下書き記事のまま放置していたものを、当時のメモをもとに書き直してUPしましたw。ごめんなさいっ!

  • レイジー解散後、「4、5年くらいは全然ダメだった。溶接の仕事をやりつつ歌ってたけど、音楽の年収は10万以下だった。実はレイジーの時もそのくらいだったけど」
  • そして運命の転機。チェンジマンのオファーがやってきてKAGEに。「チェンジマンの話が来たときに『絶対やります』と本当に乗り気で即答した。僕は本名でも全く良かったのに、プロデューサーがロッカーがアニソンを歌うという世間的なイメージダウンに気を使って『KAGE』という名前を用意してくれていた」
  • 最初のレコーディング時。「自信があったのに……『君の日本語、サイアクだね』ってw」
  • 「歌わなくていいから朗読してみるようにやってみて」→その通りにする→「もういいよ練習してこい!」
  • その音楽プロデューサー曰く「(本人のいる場所で)もうちょっと影山は楽しませてくれると思ったんだけどな……」
  • 「でもね、その人僕の居ないところでは僕のこと凄く褒めてたらしくって、後でそれを知ったときは『糞ジジイが!』って思いましたね(笑)」
  • その後ご存知のとおり影山さんはサジタリウス、星矢、そしてマスクマンとアニソン特ソンの仕事が次々と舞い込んで来る売れっ子歌手になり、さぞやホクホクと思いきや。
  • 「音楽で食べていけるようになったんだけど、溶接の仕事の方で人を使うようになっていたので結局その仕事の方も15年くらい続けた。親方には『お前、趣味で音楽やってんのか~』なんて云われたりして」
  • そしてドラゴンボールのチャラヘッチャラとの出会い。「男性ファンが一気に増えました」押しも押されぬアニソン人気歌手となったことで、レイジーのメインボーカリストとしてとの兼ね合いに悩むも、JAMプロジェクトを立ち上げる程に。
  • 「そんな折、ブラジルからめちゃくちゃな日本語メールが来たんです(笑)」
  • ブラジルでは日本のア二メ&特撮が大人気!特に「ブラジルの特撮元年はチェンジマンとジャスピオンというくらい(笑)」そんなわけで海の向こうからの熱烈なオファーに応えて渡伯した影山さんの観たものは……「もうめっちゃビックリですよ!みんな日本語は全くしゃべれないのに、歌詞だけは超完璧!感動もんです」その後影山さんは、ことある毎にブラジルのイベントにはせ参じることに。その他JAMやらレイジーの再結成やらアコギライブやら様々な活動も充実し、現在に至ると。