かんまんこうろうひ・はてなブログ編

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グインサーガの75巻目を読んでみた

 結局、グラチウスの立てた「アグリッパがアリの霊を動かした」説は全くの見当違いだったということか。それともわざとか。

大導師アグリッパ―グイン・サーガ(75) (ハヤカワ文庫JA)

大導師アグリッパ―グイン・サーガ(75) (ハヤカワ文庫JA)

 ヴァレリウスはアグリッパの結界内には迎え入れられたものの、アグリッパは既に現世を超越した存在となっており、その助力を得ることは叶わなかった。その頃、レムスの命を受けたベック公率いる国王軍がジェニュア郊外に迫っており、ナリスは裏切りの気配のあったヤヌス大神殿に見切りをつけ、不仲の母ラーナを人質に取る形で密かにジェニュアを脱出していた。

 人間離れしているにも程があります、アグリッパ。

 3大魔道師のうちの1人とかしておきながら、あんなの超のつく人外やんwww。まだ。ロカンドラス、グラチウス、そしてイェライシャの3人で3大とかというのがしっくりくるのでは?あれ?なんでイェライシャは3大魔道師よりワンランク落ちる位置づけにされてるんだろう???アグリッパとはともかく、グラチウスとはいい勝負になりそうだが>ドールに追われる男。
 我ながら厭らしい推測だとは思うのだが、この本が出た時期は先日の日記の通りインターネットで遠慮なく(汗)あれこれ書かれ始めた頃じゃないですか。この巻の前半分のアグリッパによる観相的次元論とでもいうべきか、小難しいどーたらこーたらが延々と続く部分……作者による「只のラノベがこんな話を展開するか!?ああ(怒)!?!?」みたいな意思表示が感じられてしまって……(^^;)。あとがきの内容と併せ持って妙に穿ってしまったw。でも100ページ以上もかけて延々問答させた割には、云ってることは「萩尾※都のSFを何か読んでみなさい」ということだよね(違)?
 ナリスパート。ヨナが第二のナリスになりつつある……子供の頃はあんなに可愛かったのに(寂)。ベックはやはりヤンダルに「魔の胞子」を植えつけられてしまったのか。ナリスは、ヴァレが居ないのを良いことに「(私の)居場所をどんどん亡くさせるのがヤンダルの作戦か」と嘆いていたけれども、アムブラはアンタが滅ぼしたんじゃないかーーーっ!と小一時間問い詰めたいわいっ。今思えば、どうせヤンダルと戦うならあの時決起してりゃよかったんだよなあ。ちょっとは、後悔してるんだろうか……。

 須臾、しゅゆ。漢字文化圏での1000兆分の1。しばらくの意も。索漠、さくばく。心を慰めるものもなくさびしいさま。独立不覊、どくりつふき。他の束縛を受けないで、自力で物事を行なうこと。慫慂、しょうよう。しきりに勧めること。敷衍、ふえん。おし広げること。
 この巻には2箇所気になる部分があって、まずひとつめ、棹さす、さおさす。さだめ(流れ)に棹さす。棹を水底につきさし、舟を進めることから転じて、時流に乗るという意だが、ヴァレリウスの立場からすると、どうも「時流に逆らう」つもりで劇中では用いられているんじゃ……。そしてふたつめ。蓋然性、がいぜんせい*1。ある出来事が起こる確実性の度合い。可能性の類義語であるが、起こる確立の高さ低さを云う場合は、可能性が高い、ではなく蓋然性が高い、というべきらしい。逆に云えば蓋然性がある、では無く、可能性がある、ということだよね?しかし本書では……。

*1:-蓋然性、という言葉については恥ずかしながら今日まで知らなかったので、当然齧った知識で書いておりまして、その正確性についてはちょっと自信がありません。念のために参考にしたサイトを記しておきます。→http://www.jas21.com/athenaeum/athenaeum60.htm