1.17
13年目。まだ記憶にあることを。当時、大阪の一女子高生より。
- 当日
- 揺れ始めて目が覚めたのか、目が覚めてから揺れ始めたのかは覚えていない。
- 揺れている間は頭が真っ白だった。足先にあった本棚の本がバサバサと落ちてきた。ゴゴゴゴゴとものすごい音がした。
- ラジオより。「……治まったようですね」とのコメントから漸く地震という事態に思い当たった。
- カーテンを開くとまだ暗い中真向かいの市営住宅の明かりが全て付いていた。
- 地下鉄が全線休止なのは知っていたが、制服に着替えて学校に行く準備をしていた(結局行けず)。
- 朝食中に大きな余震が起こる。7時半くらい?
- 神戸に住む友人の安否を母が電話で確かめようとするが、父に止められる(後に無事とわかる)。
- 電話どこにもつながらず。夜になって母方の親戚からかかってくる。
- 死者数が500人を越えた頃から現実感覚が麻痺した感じ。
- 翌日
- それ以降
- 地下鉄内で被災地からやってきたらしい家族連れを見た。大阪と神戸のあまりのギャップに終始ハイテンションだった。
- 終礼で犠牲者への黙祷を忘れてしまい、終始温厚な担任(すでに故人)が烈火のごとく怒った。今思うと当然のこと。
- ボランティアのやり方を巡ってクラスメイトと宗教の先生が授業中に大喧嘩した。
- 寄付金はものすごく集まった。らしい。
- 高校生なりに思うことがあったのかその年のクリスマス、営業再開して間もなかったハーバーランドに「お金を落としに」行った。帰りしなに1階部分がまるまるつぶれたマンションを観てどきり、とした。
- 今回想して思うことは大阪と神戸には大きな隔たりがあった、ということです。
また思い出すことがあれば来年の今日書きまする。