グインサーガの95巻目を読んでみた
- 作者: 栗本薫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2004/06/10
- メディア: 文庫
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グイン失踪の状況説明を求めて、ランゴバルド候ハゾスがパロへ赴くことになった。表向きの争点は古代機械を動かしたヨナの身柄引渡しについてであったが、実際の問題はケイロニアの女婿でもあるマリウスの処遇についてであった。一方ゴーラではイシュトヴァーンがアムネリスの遺児ドリアンと対面するものの、自身の息子であるにも拘らず激しく狼狽し拒絶してしまう。
結局、マリウスはどうしたいのだろう?
前にも書いたが、変節自体はしょうがない、と思う。しかし、少し前の巻では「亡き兄に代わってリンダを助けるためにパロに戻ってきた」と力強く宣言していたのに、今回はしれっと「パロを出てゆくべきではないだろうか」とかほざいて云っていたように思えたのは、私が飛ばし読みしすぎて読解を誤ったせいだろうか?兄との絆を取るか、自由人としての生き方を通すか、その選択からも逃げてるような気がするのだが……。要はケイロニア宮廷の軛から逃れれば、あとはどっちでもいいように見えるのは気のせいか?
私もイシュトヴァーンとアリサの関係はほのぼの……というより、ちょっと気持ち悪い。アリサはイシュトへの献身を通してミロクの教義に淫しているように見える。あと、ヨナほど教義の本質については真面目に考えていないとも。その、結果的に本当の意味で相手に肩入れしようとしない関係性の浅っぽさが、イシュトヴァーンには良い方向に働いているのかもしれないが……現時点では。カメロンやマルコのように深入りするのも善し悪しだしねぇ。
イシュトはドリアンに何の影を見たのか?アムネリスはイシュトのこのような反応を見越して赤子を出産したのだろうか(だとしたら怖い……)?
にしても、「※※※はこういう人間だ~」の記述で数十ページ費やすのは勘弁してもらいたい~(今更?)。繰り返される度に微妙に違って来てるし……。
読み方、意味を調べた漢字。韜晦、とうかい。自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。行住坐臥、ぎょうじゅうざが。日常の立ち居振る舞いのこと。教會師、きょうかいし。矯正施設において収容者・受刑者の徳性の育成や精神的救済に携わる人のこと。