かんまんこうろうひ・はてなブログ編

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ベーメンってボヘミアのことだったのな

ハプスブルクの宝剣〈上〉 (文春文庫)

ハプスブルクの宝剣〈上〉 (文春文庫)

ハプスブルクの宝剣〈下〉 (文春文庫)

ハプスブルクの宝剣〈下〉 (文春文庫)

 オーストリア継承戦争の時代、マリアテレジアの夫フランツ1世の腹心として才幹を発揮するユダヤ人青年の物語。ユダヤへの迫害といいますと、どうしてもナチスが浮かんでしまう対岸の東洋人でありますが、ゲットー(収容地区)なぞはそれよりも遥か昔の時代から存在したんですな。とはいえ、フランツやオイゲン公のように拘らない人物もいるわけで、差別というのは所詮個人の問題なのね……。そして、差別によって不幸になるのは「される側」ではなくむしろ「する側」であるということも改めて本書の中では示されている。テレーゼ(テレジア)が主人公エドゥアルトの出自を知った途端、掌を反すように彼を(彼に対する恋心を封じ込めるように)拒絶する展開から一気に物語は面白くなるのだが、これ、ユダヤ→てかけの子に置き換えるとまんま「あかんたれ」だよなぁ(笑)。もちろんエドゥアルトが秀松で、テレーゼがこいさん+とうさん、フランツは音松。「テレーゼ……なんでだす?なんでわてを認めてくれへんのだす……?」(←勿論志垣声)ってエドゥアルトはあんなにじめじめしてないけどさーーーっっ。
 11歳のマリアテレジアの肖像というのを観たことがありますが、ほんとこの小説のように、利発だけど理想主義者の塊みたいな顔立ちなのね。自身(というか家系)の使命と誇りを邁進させる正義を疑わない、みたいな。個人的にそういうつっぱったキャラクターは嫌いじゃない。でも、終盤のエドゥアルトが自身はユダヤ人であるときっぱりと宣言し、フランツが全てを承知の上で彼を登用していたとテレーゼにはっきり知らせる場面はまじで胸がスカスカスカスカスーーーッといたしましたわ~~~♪正直、「テレーゼ、ザマーミロ」と思ったね(笑)。